日本人の心
日本人の心には、キリスト教は、なかなか入って行かない。
何年たっても、クリスチャン人口は1%にも足りない。その原因は、仏教だの神道だの儒教だの根深く土着化しきった宗教のゆえだと嘆くキリスト者の声をよく耳にする。
私自身、そうに違いないと思い込み、同じような事を言ってきた。だが、最近、どういうわけか私の宗教観が全体的に変化し丸みが出てきた事に気がついた。
多くの方々が、キリスト教が良いのは良く分かるが、今まで引き継いできた仏教なり祖先様を捨ててまでキリスト教に飛び込む勇気はないし、子供達は、好きなようにさせるが、自分達は今まで通りでいたいと言う。
今までキリスト教が、あれもこれも伝統的なものを捨てなければならないような印象を与えてきた所に無理があったのではないかと思う。捨てると言い切るよりも「取り変えてみるのです」と言ってみるとニュアンスがだいぶ異なってくる。
聖霊の力で聖書の真理が明確になってくると、全ての思想が鈍化される。それゆえ、仏教や祖先崇拝や神道の文化の重みが、日本人の思想の底を流れているのは素晴らしい事である。そこに真理の御霊が降り注がれ、霊の世界がつかめるようになると、あなたの霊的な杯は満ち満ちてあふれるに違いない。
その時、今までどうしても満たされ得なかった何かを、生けるキリストの愛にふれた瞬間、味わうものである。
その時、今までの仏教や儒教の思想に、織り重なり合って円熟した人間像が形成されていくのである。
キリスト者が少ないのは、熟する時期がまだ来ていないからに過ぎない。
・・・だが、そう言ってもいられない。田畑を見渡す時、その時期は、もうすでに来ているのである。
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